お灸大学

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最も注目を集める東洋医学のチカラをたづねます。

馬王堆漢墓 出土医書

vol.07

お灸のバイブルと呼ばれる黄帝内経は中国最古の医書として知られていますが、その成立年代は定かではありません。推定では戦国中期から漢にかけてのかなり長い期間の医書の集大成とされています。

原書は現存せず 今、黄帝内経と呼ばれているものは後にまとめられたものですが、その内容は大きくわけて「素門」と「霊柩」からなりたっており、大半は黄帝とその臣下の医師達との問答形式ですすめられています。
「素門」は主として陰陽五行説にもとずく、いわば医学総論、「霊柩」は鍼を中心にしたお灸などの具体的な治療法が経絡の流れをもとにしてのべられているのです。

ところが今から45年前、中国湖南省長沙で発掘された「馬王堆漢墓」から多数の医学に関する資料が出土しました。
「馬王堆漢墓」がつくられたのは漢王朝の文帝の時代(前168)となっているところから、出土した医書は、この時代よりさらに古く戦国時代から漢始めと推定されます。

出土したおびただしい資料のうち、医書は14種類。そのほとんどは絹に書かれた帛書で、他には竹筒、木筒でしたが何より注目されたのはその内容、経脈についてかなりくわしくのべられていたことです。

それまで経脈と鍼灸治療の基本とされてきたのは黄帝内経の「霊柩」でしたが、馬王堆漢墓から出土した「陰陽十一脈灸経」は最古の人体経脈と灸療法を記したものであり「足腎十一脈灸経」には現在も基本とされる正経十二経脈のうち、手の厥陰脈をのぞく十一の経脈があげられ、そのとどこおりによっておこる症状とお灸による治療の原則が記されていたのです。その成立年代から、これらの医書が黄帝内経より以前に記されたものであり、黄帝内経成立に大きく影響したと推定されたことで大きな話題を呼んだのです。

なかでも注目を集めたのは黄帝内経には、これまで鍼灸といっても、ほとんど鍼についての記述であるところから、この時代は鍼が中心と信じられていました。
ところが馬王堆漢墓から出土した陰陽十一脈灸経にも足腎十一脈灸経のいづれにも鍼についての記述は全くないことが判明。さらに同時に出土した全ての医書についても鍼はなくすべては灸療法についてであったのです。

この事実から鍼よりお灸が古くから存在していたというのは早計ですが、少なくともお灸が鍼とともに経脈理論にもとずく治療方法として、長い歴史の中で東洋医学を支えてきたのは事実だったようです。

まとめ

東洋医学を生薬と共に支えてきた鍼灸は
仏教と共に日本に伝えられ
その後、日本で独自の発展をとげました。
そして16世紀中頃から日本の鍼灸は
ヨーロッパに伝えられていったのです。

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