お灸大学

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江戸時代の旅

vol.03

江戸時代も半ばをこえると庶民の旅ブームが訪れました。
とはいえ当時の旅といえば、今日のように自由なものではなく主として「伊勢参り」などの信仰を目的とした旅。しかし旅ブームは年々盛りあがり、ガイドブックをはじめ、さまざまな旅の本が売り出されました。弥次さん 喜多さんでおなじみの十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」の初版もこの頃。
ちなみに栗毛とは栗毛の馬のこと、従って膝栗毛とは自分の足を馬の替わりにして歩いた旅という意味なのです。

数あるガイドブックの中でベストセラーとなったのが文化7年(1810)に発刊された「旅行用心集」(八隅蘆菴 著)です。
全国292ヶ所の温泉の情報をはじめ、全国の街道にある関所や、関所を通る時の注意をはじめ、宿の情報、旅の持ちもの、健康やカラダの手入れなど実にきめ細かく記されています。

当時の旅といえば、自分の足で歩くのが旅。
例えば、芭蕉の「奥の細道」は全行程600里、2400キロを150日かけて歩いたそうで今の私達にはちょっと想像できない旅でした。

それだけに旅といえば足のメンテナンスは必須だったのです。
奥の細道の冒頭にも「道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず、もも引きの破れをつづり、笠の緒つけかえて、三里に灸すゆるより、松島の月まず心にかかりて・・・」と旅にそなえて足の手入れをしながら旅への想いをはせる芭蕉の心がつづられていることでもわかる通り、足の手入れは当時の旅には欠かせなかったのです。

「旅行用心集」には「道中にて草臥れを直す秘伝井奇方」として「草臥 足痛する時は宿へつき風呂へ入りて後 塩を調えて足のうらへ したたかになすり付、火にてあぶるべし妙なり」とか「風呂に入りて後焼酎の足の三里より下、足のうら迄吹き付けべし、手にてぬりてはきかぬなり」とか
「至極、草臥れたる時、足の三里、承山、通谷の3ヶ所、灸すべし。」などと記されています。

さらにツボのさがしかたについても
「足の三里とは膝の下三寸のかど。承山 とは両手をつま先立てれば、ふくらはぎへ山のかたち出る也。その山の下を承山としるべし。通谷 とは足のこゆびのよこのくぼみたる所なり。くたびれよく直る也」とていねいに紹介しています。

さらに別のコーナーでは「道中所持すべき薬のこと」としての中には熊の胃などと並んで「切りもぐさ、しめらぬようにして貯うべし」とも記されています。

さらに「三里に灸をしない人とは一緒に旅をするな」ということばも残るほど、お灸は旅には絶対に欠かせないもの、江戸時代の旅とは毎日旅立ちに供えて三里に灸をし、宿についたらまず足の手入れをして明日にそなえるのがルールだったのです。

まとめ

毎日、自分の足で歩くことが旅であった江戸時代、
日々のお灸によるセルフケアは
元気に旅をつづけるために欠かせないものだったのです。

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